社長メッセージ
創業者の思い
グローバル・サプライチェーン・マネジメント戦略をお任せください。
ギャバンス株式会社は、1995年(平成7年)に有限会社として設立しました。
当時は、岐阜県羽島市の一倉庫で検針機一台と私と妻で始めました。ある思いがあって、永年勤めた会社をやめて独立したのです。
当時は、岐阜県羽島市の一倉庫で検針機一台と私と妻で始めました。ある思いがあって、永年勤めた会社をやめて独立したのです。
私はそれまで専門商社に16年間勤めておりました。1980年代後半のことです。
私は、当時、製品部に配属されていた関係で、発注した衣料製品の仕上がり具合を確認するため、中国の上海に飛びました。この時代の衣料生産は、国内生産7割、海外生産3割ぐらいの割合だったかと思います。
私は、当時、製品部に配属されていた関係で、発注した衣料製品の仕上がり具合を確認するため、中国の上海に飛びました。この時代の衣料生産は、国内生産7割、海外生産3割ぐらいの割合だったかと思います。
上海郊外の工場に入り、びっくりしました。
原反のずさんな管理状況、縫製工場の不潔な現場、そして備品等が散らかる製品出荷時点での検品環境、これらを見るにつけて愕然ときました。それまで見慣れてきた日本の縫製工場と比べ、あまりもの違いにびっくりしたのです。つまり、当時の中国工場現場には、縫製技術は移転されつつあったものの、品質管理技術はまったくといってよいほど移転されていなかったのです。
原反のずさんな管理状況、縫製工場の不潔な現場、そして備品等が散らかる製品出荷時点での検品環境、これらを見るにつけて愕然ときました。それまで見慣れてきた日本の縫製工場と比べ、あまりもの違いにびっくりしたのです。つまり、当時の中国工場現場には、縫製技術は移転されつつあったものの、品質管理技術はまったくといってよいほど移転されていなかったのです。
当時、中国出張を繰り返すなか、中国人と日本人の「ものづくり」に対する感覚の違いを感じるようになりました。
当時、私は将来も中国生産がどんどん増えてくるにあたり、ある程度、品質管理は置き去りにされていくのではないか、という懸念を持っていました。1990代に入り、そうした心配はますます現実のものになっていきました。時に日本でもPL法(製造物責任法)が施行された時期でした。
当時、私は将来も中国生産がどんどん増えてくるにあたり、ある程度、品質管理は置き去りにされていくのではないか、という懸念を持っていました。1990代に入り、そうした心配はますます現実のものになっていきました。時に日本でもPL法(製造物責任法)が施行された時期でした。
私は、中国製品の品質管理をフォローする業者が専門に必要ではないかと痛感しました。そこで、それまで勤めてきた商社を退職し、検品業として独立開業したのです。
その思いは、日本の消費者に、安心して中国生産商品を使ってもらいたいということからでした。
独立開業してから二十数年、今では検品業から検品周辺の物流管理まで考えることのできる会社になってきました。
その思いは、日本の消費者に、安心して中国生産商品を使ってもらいたいということからでした。
独立開業してから二十数年、今では検品業から検品周辺の物流管理まで考えることのできる会社になってきました。
現在、岐阜で5拠点あるだけでなく、中国、東南アジアへも拠点を構えることができましたが、当初の私の志にあった製品管理については、まだ至っていません。
限りなく100%に近い製品管理を目指してまいります。
限りなく100%に近い製品管理を目指してまいります。
取締役会長(創業者) 奥田 真一
アイ・リンクグループ 代表
ギャバンス株式会社 代表取締役 石島 久司
ギャバンス株式会社 代表取締役 石島 久司